何年か前の夏休み、三沢中3年の社会の宿題に「第2次世界大戦について」調べるレポートが出た。
その宿題には「参考文献」も記載するように書かれていた。
そこで、生徒たちが相談に来た。
塾長が「図書館で関連の本を探して、調べて書く」ようにと伝えた。
一人以外は、図書館で本を借り、夏期講習会の合間に本を読み、レポートをまとめていた。
参考文献もその本の題名と著者を書いていた。
本を借りなかった一人はNHKのホームページ内の戦争についてのサイトから、戦争体験者の話を聞き、それらをレポートにまとめていた。
皆、さまざまな工夫がしてあって、素晴らしい仕上がりだった。
「きっとA評価がもらえるよ」と伝えた。
学校に行って、宿題を提出。
次の学校の社会の授業で先生が、ほとんどの生徒がインターネットの同じサイト(ウィキペディア)の丸写しになっていて残念だ、ということを話されたそうだ。
うちの塾の生徒たちは、全員がA評価をもらっていた。
インターネットを全否定するわけではない。
ただ、真偽のわからないサイトも多く、鵜呑みにするのは危険である。
大人でも判断が難しい場合もあるのだから、子どもたちには余計に真偽はわかりにくい。
ただ、出所がはっきりしているサイトなどは調べるのに有効な場合もある。
NHKのホームページで調べた生徒は最初、本を読むのが面倒だったからサイトを調べたそうだが、戦争を体験された方のお話に胸を打たれ、HP内のすべての資料を見聞きしたそうだ。
声や表情などをそのまま動画で見ることができるのは、インターネットのいいところでもある。
その子は、それに刺激を受け、もっと知りたくなって図書館で本も借りて読んだそうだ。
使い方を間違えなければ、ネットも有効な時もある。
しかし、その使い方をわからないうちに安易にネットを検索して、それが正しいのかを確認もせず、答えを出すという安直な考えは、自らの学ぶ力を培(つちか)うチャンスを放棄することになる。
便利さをとるのか、あえての面倒さをとるのか、これも子どもたちの人生を大きく左右する選択のひとつだろう。