現在、小6生は芥川龍之介の「蜘蛛の糸」の最後の部分の音読をしている。
子供の頃にこの小説を読んだ時にはもともと悪人だった犍陀多(カンダタ)だから、蜘蛛の糸は切れて当たり前だと感じていた。
しかし、小学生たちの音読を聞いているうちに少し考えが変わっていった。
お釈迦様はきっと犍陀多の中にあった「善の心」を信じたかったのだろう。
だから最後の望みを蜘蛛の糸にかけたのだ。
お釈迦様の蜘蛛の糸だから犍陀多が「みんなで一緒に極楽に行こう」と声を掛けたらどんなに人数がいても蜘蛛の糸は切れなかったのではないかと思う。
小説は読むときの状況で感じ方も変わる。
新たな解釈ができたのはみんなの熱心に読んでいる姿と声のおかげだ。
音読は生徒のためにやっているようだけれど、私自身の学びにもなっているようだ。