「偏差値50は切らせたくなくて何から何まで下支えし過ぎた。結果成長の機会も奪ってしまった。この期に及んで自分で頭を動すこともできないし、どんな言葉も届かない。徒労感がひどくもう手を引きたいが、ひとりで勉強する術を教えてこなかったから今更それもできない。」
昨日、塾のTwitterに流れてきた、べろなさんの投稿。
https://twitter.com/j4MoibeQijbtQ7m
読んでいて、興味がわき、一気に投稿をすべて読んだ。
リアルな保護者の方の気持ちが伝わってきた。
うちの塾長は独立するまでは、早アカや東進で中学入試の算数の講師をしていたし、独立後も四谷大塚本体の非常勤講師もしていた中学受験のプロ中のプロだった人だ。
私も中学入試の指導もしていたので、どれだけ中学受験が大変なのかは、よく分かっているつもりだ。
でも、このツイートを目にして「今でもこうなのか」と驚いてしまった。
「中学受験は親の受験」の意味を取り違える人が確かに多かった。
「親が受験する」訳ではないことは、この方もよく分かってらっしゃるようだが、そこが中受の恐ろしいところ、目の前の成績にとらわれてしまうのだ。
毎週成績結果が出るところ、全国順位、塾内順位が各教科単元ごとに毎回出てくるところが他の受験、高校受験、大学受験とちがう。
だから常にシビアに成績に向き合わされる。
さらに、他の受験と違い、本人にはほぼ「モチベーションがない」。
しかも算数も理科もテクニカルな単元が多い。だから小手先に走りやすくなる。
そうなると、「取り敢えず」目に見える結果が欲しくなる。
親にはもちろんモチベーションがあるから、テクニカルな分(教えられる場合)教えるのにも力が入る。
ここから「何で出来ないの?」が始まる。