昨日のブログで小学生が「外国の人が日本語を習うと、日本語はむずかしいって言うと聞いたけど、あたしはふつうに日本語もしゃべれるから完璧だね」と言ったと書いた。
確かに私たちは日本に生まれ育ったから、お腹の中にいる時から、ずっと「日本語」を聞いてきた。
母国語はたくさんの「耳からの情報」で習得していく。
耳で聞き、それを真似て言葉を発するようになる。
会話で困ることはまずない。
だから「国語はできる」と思ってしまうのだ。
以前うちの塾でも、受講科目が選択制だった頃、一番受講希望が少ない科目が国語だった。
国語を選択しない理由として、「日本語は習わなくても平気だから」「英語と違って、話すのに困っていないから」と言われたことがある。
でも、定期テストの国語の点を見れば、他の科目と平均点は変わらないかむしろ低いし、100点はまずいない。
困っていないはずの日本語なのに。
一見ラクそうに見えるかもしれないが、他の科目と同様に国語にも、できる、できないがあるということだ。
塾では、テスト前に国語の試験範囲の読解をするのだが、入会して間もない子たちには、それがとても新鮮に映るようだ。
「今まで人物の心情を読み取るのが苦手だったが、解説をしてもらい情景描写などから心情を読み取る方法が分かってうれしかった」などと言われる。
それだけ、読解する大切さが認識されてこなかったのだろう。
「国語」の学びには、漢字・語句の暗記などで語彙力を増やし、読み方・書き方の練習を通して、読解力を高めることが必要だ。
「日本語が話せる」=「国語ができる」とはならない。
国語も他の科目と同様に学びが必要で、練習が欠かせないのである。