子供👶が生まれた時に最初はただ可愛くて、お腹がいっぱいであるようにとか、たくさん眠るようにとか、オムツが汚れて不快にならないようにとか、とにかく必死に世話をする。
そのうちに赤ちゃんは寝返ろうと身体を動かすようになる。
寝返れるようになると、うつ伏せで頭を持ちあげようとする。
それができるようになると、ハイハイをしようとする。
子供が本能でそうしようとするのだ。
人間はその本能のままに成長していくところから始まって、その年齢に応じた「生きていくのに必要なこと」を継続しながら生きていくことになる。
大人になれば、「生活を維持していく」ことを継続していくことになるし、年を取れば、「健康で日々を過ごすこと」を継続していくことになる。
私の祖母👵は、心筋梗塞で倒れ身体が弱ってしまった祖父🧓に、毎日散歩に行くように促してした。
「歩けなくなったらおしまいだから」と言って、「あとで」と逃げ腰の祖父に無理矢理にでも杖👨🦯を持たせ、外に追い出していた。
そのおかげで祖父はだいぶ長生きをすることができたのだと思う。
「おばあちゃん、こわっ😖」と当時は見ていたが、今思えば、愛する夫に長生きしてほしかったから、そういう態度を取り続けたのだということがわかる💕
大人になってしまうと、日々を継続するためには、たとえイヤなことでも「放り出」したり「なかったこと」にしたりできなくなる。
その継続の練習をするのが子供時代なのだと思う。
ほとんどの子は、「学習」「スポーツ」などの「学び」を通してそれらを練習している。
つらくて面倒な時は細くてもいいから、「続けること」に意味があるのだと思う。
学びを続ければ、その副産物として良い内申や高い偏差値となって現われる。
でも、それらは目的ではない。
「継続すること」に核心がある。
だから、私たちは生徒たちに継続した「日々の学習」を求める。
それこそが「うち塾の存在意義」のひとつなのだから。
そう、あの時の祖母の役目だ。