「習い読むといえども復せざれば、只隣の財を計うるが如し(ならいよむといえどもふくせざれば、ただとなりのたからをかぞうるがごとし)」
現在、小6生が音読している「実語教」の一節だ。
「習読しても、何度もくり返さなければ、ただ、隣の家の財宝を数えるくらい無駄なことである」
実語教は平安時代に作られ、約千年もの間読まれ続け、明治時代には寺子屋で教科書として使われていたそうだ。
平安時代、そんな頃から「ただ習うだけでなくくり返しの学習をしないと、身につかない」とうたっていたのだ。
いろいろと時代は変わっているけれど、「学び」の基礎は古(いにしえ)から変わっていないのだ。
現在小6生がこの「実語教」を音読しているのは、福沢諭吉の「学問のすすめ」 の音読のときに「実語教によれば」と出てきたので、じゃあ、「実語教」も音読しようということになったのだ。
生徒たちのかわいい声で読まれた、かわいさの対局にあるような「実語教」を聞きながら、「良いこと言っているなあ~」と感心している。
そして「子どもたちが反復できるように工夫しなければ」と思いながら、一人ひとりの宿題の画像の採点をしている。
「倉(くら)の内(うち)の財(財)は朽(く)ちることあり 身(み)の内(うち)の才(さい)は朽(く)ちることなし」
「蔵の中にある財宝は朽ちてしまうことがあるが、体の中にある智恵は朽ちることがない」
毎日がんばって学習し蓄えている大切なものが、みんなの身の内に残っていくといいなと思う。