途中式(筆算ではない)を書かない数学のワークは2つの問題点をもつことになる。
・小さい問題点
学校のワークは普通、生徒が問題を解き、自分で丸付けまでして学校に提出する。
数学のワークは答えを導くために必要なスペースがたいてい空けてある。
つまり、答えを出すまでの道筋(途中式)を書くことを前提として作ってある。
そんな風に作ってあるワークで、途中式がないのに答えに○がついている。
そんなワークを見て、学校の先生ならどう思うだろうか。
「雑な計算・考えをしている」「答えを写して〇をつけた」などと思うかもしれない。
以前、うちの塾の生徒で数学がよくできる子がいた。
暗算でできるからと答えだけを書いた。
きちんと解いたにも関わらずB評価になってしまった。
A評価とB評価は点数化するとかなり差がある。
きちんと解いても、答えを写しても、ワークを解いているところを先生が監視している訳ではない。
提出されたワークをチェックするだけなのだ。
だから、途中式がないということは「答を写した」「適当に解いた」と判断されても仕方がないことになる。
・大きな問題点
途中式を書かないということは、自分の考えを残していないということになる。
あとで振り返り学習をする時に、「自分がどうやってこの問題を解いたのか」を確認できないことになる。
ましてや、テスト直前の休み時間に「あれ、この問題どうやって解くんだったっけ?」となった時に、解答集を調べて…ってやっている間にチャイムが鳴ってしまう可能性もある。
途中式があれば、解き方をその場で確認できるから、安心だ。
計算をするのだから、その式をそのまま書き込めばいいだけなのに、なぜ書かないのか。
不思議に思ってしまう。
途中式がびっしり書いてある数学のワークは「がんばって学習した」というオーラをまとっている。
以前、入会前の面談で、塾で見本としている『びっしり途中式が書かれている数学のワークのコピー』をご覧になった保護者の方が、「一生懸命に学習しているのがよくわかる」と言って、涙ぐまれたことがある。
普通のお母さんがご覧になってもそう感じるのだ。
多くの生徒のワークを評価している学校の先生はもっと「がんばって取り組んでいる」ことを感じ取られるだろうし、そうやって解いた範囲のテストで高得点を取れば「努力の証」だと高く評価してくれるだろう。
もちろん、ひとつひとつにていねいに取り組むこと自体が尊く、将来の糧(かて)になる。
丁寧に問題に取り組むことは一石何鳥にもなるのだ。