中間テスト初日のテスト問題を見た。
「これは定期テスト?実力テスト?
学校の先生の考えはどこにあるのだろう」
そんなことを思った。
新しい教科書になった頃から感じていたが、今回のテストで余計にその想いを強くした。
範囲が決まっていて、それをきちんと習得しているのかを確認するのが「定期テスト」の意義だと思っていた。
ところが、どんどんと実力テスト化してきている。
例えば英語で、範囲内の文法を用いた長文が出るのなら、まだ納得ができる。
なぜ、国語で初見の文を出すのだろうか。
国語の範囲は「その文章」にあるはずだ。
「故郷」なら「故郷の文章」から出題されるべきだと思う。
初見の文は「範囲外」から出題されたことと同じだ。
本来定期テストは、範囲表が毎回配布されていることからも「範囲の決まっている」テストのはずだ。
学校のその期間に学んだことが定着しているかの評価テストが「定期テスト」だ。
「実力をはかる実力テスト」と「既習範囲を確認する定期テスト」は異なるものであるはずだ。
うちの塾の生徒たちはそれでも点が取れるとは思うが、どうしても解せない。
「実力テスト」が内申の基準になっていいのだろうか、と思ってしまう。
「内申は学校の授業の総合評価」ではないのか。
現状の入試制度では、内申が高い生徒に有利である。
もちろん、「内申=実力」ではない。
なぜなら内申は、授業に積極的に参加したり、ノートやワークにていねいに取り組んだり、小テストや定期テストの結果など、実力以外の面も評価されるからだ。
以前、高校の入試担当の先生の中には「内申=実力」でないことを「正しい評価がされていない」と評する方もいた。
しかし最近は、私立高校を含めて、内申から分かるその子の「コツコツと学習する姿」を評価している高校が多くなっている。
「内申」は、目の前に与えられたことに一生懸命に取組んだ生徒に高い評価を与えるべきだと思う。
今習っている内容に一生懸命取り組みことは誰でもできる。
それが、平等な評価にもつながるはずだ。
学校での評価が上がることで、やる気が出てがんばれるようになる生徒もいるのだから。